馬渡島紀行    


名護屋港を出るとすぐそこに波戸岬と玄海原子力発電所が見えてくる。
意外と近くにあり、佐賀県に原発があったと再認識したのだ。
昨年からの課題だった馬渡(まだら)島行き。
アイ子さんが馬渡島小学校に赴任した日から「1回は来んばよ」とおっしゃる。
何しろ今までフェリーに2回、飛行機は1.5回しか乗ったことが無いのだ。地面から離れるとなぜか…それでも他の乗船客に悟られないでと何気ない顔で乗ったは良かったが、、エーイまな板の上の鯉、船に酔う前にビールで麻痺するほうまだ好い。
馬渡島まで30分は案外短く感じる時間だった。防波堤を出てからの海の色の深さと白い飛沫の跡を追って行く。
パノラマのように替わり行く島々がかくれんぼでもする様に見えたり隠れたり。頭に描いている地図は何の役にも立たないのだ。  2004.07.18〜19

フェリーが来るまでの時間子供たちが桟橋で泳いでいた。加部島に渡る呼子大橋もこんなに近くにあった。
アイコ教頭先生はすでに港で待っていた。僕等の命を運んでくれた第18郵正丸もこうして見ると頼りになります。

海の色はどこまでも碧く、時おり海底が砂のところはエメラルドグリーンに変る。ハラダ夫妻は、水を得た魚宜しくシュノーケルを取り出し海中遊泳中。

雲が湧き立つところが水平線。松島、加唐島、壱岐がすぐ近くに見える玄界灘への出口はこの日いたって穏やかな顔を見せていた。

島内で一番高い番所の辻から浜のキャンプ場へ下りて行き出したが階段状の小径は急で狭くやむなく後戻り。
 番所の辻から車で5分ほど島で唯一下まで車でいける海岸ではよめさんまで海に入ってシュノケールの練習。お風呂の潜りじゃないんだから…
カメラマンは岩の上から笑いを浮かべて高見の見物。しっかり撮れよ
アイコ先生の引率で出かけた温泉旅行?じゃなかったよね。やっぱり潜るよりはお風呂が良いとおばさんたち。海の岩風呂の後はお茶でも飲んで、これに羊羹があったら・・・・・・と言いながらビールを出す頃合いを言い出しかねて誰が一番先に切り出すか?。



この島にもどっこい強い植物達が生きている。
丘を切り開いた宿舎の周りはコンクリートでおおわれていたが夏の日差しは生きるものにどこまでも優しいのだった。
アイ子先生の自宅のすぐ下の棟には上田夫妻が親子3人、島の人になり切って至極ご満悦。レイト君ももうすぐ2歳、島の子供は人見知りもせずに健やかに育ってきた。
ミヤノちゃんは敷地の外にある畑を3坪ほど借りて菜園作りに精を出す。真っ直ぐな胡瓜やカボチャが生い茂りトマトはもう食べごろだ。
家族がアイ子さん宅に見えた頃にはカメラマンはもう頭抱えて夢の中、一晩のお付き合いさえ出来なかったことは反省材料だった。
      
港近くの街並みを感じたくて一人アイ子さんちを早く出たがどこでどう間違ったのか反対の方へ言ったらしい。どうにか出港の時間に間に合ったが最後まで心配をかけた。団体行動が苦手な者だとみんなが思ったことだろう。又いつか来るチャンスがあったら今度は島中を回れるように人についてゆこう。
アイ子先生はいつまでもいつまでも手を振って見送ってくれた。
太閤が夢を見た名護屋城址にはかっての面影はない。すぐ左手には玄海原発ドームが見えていて、改めて異様な風景に驚く。波戸岬、名護屋城址、呼子、七ツ釜の観光地を控える佐賀県の最北端は最後の記念写真の場所とならなければ良いが・・・




呼子大橋を渡るとそこはもう加部島だ。風が見える丘がうたい文句は箱庭に見える島の暮らし。向こうに見える鷹島、左手に見えるはずの小川島、加唐島、松島、遠くに壱岐・対馬、意外と近くに感じるものだ。
呼子はイカ漁の水揚げ港。港近くの朝市は各地からの買い物客で賑わうという。イカを食べたいが為に2時間待ってる人はざらと料理店近くのおばさんはもう慣れた顔で言う。 七山村を横断して佐賀に入る途中富士町の北山饅頭屋が場所を変っていた。嘉瀬川ダム建設が進行中で国道側から僅かに引っ込んだ古い民家をそのまま利用してあった。おばちゃんは暑い中ばんこに座ってお店番。

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