思いつきでその時々のアルバム集。さて何が出ますやら
2005年版に戻る
2006年版
9/05 おっちゃん達と娘達
3ヶ月ぶりに佐賀へ小高さんが来た。 南海上に大型台風18号が九州上陸をねらっている時期と同じ時にひょっこりやってきた。 20年前に佐賀を離れたなっちゃんと、大学進学で佐賀を離れたのりちゃんはすっかり大人の美人になっていておっちゃんたちもいささか面食らっていたがそこは仲間の娘達、一人寝込んだおじさんを尻目に風が強い夜半まで話は弾んだ。翌日、呼子から有田へ出かけた小高親子は台風が来る前にかろうじて羽田へ飛び立っていったがこんど会う時はいつのことになるだろう。 |
||
7/31 服部絵画教室さなぼり
流浪の旅 男やもめ3人が特別参加を許されている服部絵画教室のさなぼり/INビヤ・ガーデンは例年になく暑い夏の夕方から始まった。勢山女史が設定してくれたコースに乗っていくだけの華やかな飲み会はサッカーアジア予選の中継をわきに見ながら夜更けまで続く。 それにしてもサッカー予選の結果を見てびっくり。凄まじいばかりのPK戦に川口は鬼になっていた。 松尾局長が銀天夜市の警備見回りのため参加できなかったことは至極残念であった。 今までの教室を使用されなくなって服部教室はどこへ行くのか。流浪の旅が始まった。 |
||
7/4 佐賀歴史民俗館
松原4丁目にある旧福田家は佐賀市重要文化財に指定されていて、柳町の旧古賀銀行、旧古賀家、旧牛島家、旧三省銀行とともに佐賀市歴史民族館となっている。 三瀬村在住の大江氏が福田家で動くオブジェを庭に、屏風仕立ての絵画大作、油彩小品を茶室に展示していた。 明治初期の和風建築の粋を集めた福田家は何度尋ねてもつい畳に腰をおろして庭を眺めてしまうのだ。 |
||
柳町の旧牛島家は今宿町から移転、旧商家のたたずまいを残している。山野草の古賀さんは雨の中でも苔玉を買い求めるお客さんのさんの応対に忙しいのだ。最終日はあいにくの雨で通りを歩く人も心なし少ない。古賀さん来週からはさあ!光瀬のマッチャんで稼ごうぜい。 | ||
三省銀行の緑青が吹いた銅版の窓を画いたのはもう三十数年前か?当時から見惚れるような美しさは変わらない。 旧古賀家と旧三省銀行跡に挟まれた専福寺の山門を借りて雨宿り。ふと見上げると赤くさび付いた旗立が・・・今はもう使われていないだろう。 雨の中の古い街も悪くない。 山門の瓦の滴は大地に落ちて地に滲みていくのか、端っこにはタンポポが共生する。 |
6/20 朝倉町の3連水車
筑後川はゆったりと流れていた | 右部4.76m 中部4.30m 左部3.98mの3連水車は、回転数、水田の高さ、揚水の量と密接な関りをもっており、1日当り7.892t揚水し13.5haの水田をかんがいしている | |
初め2連だった水車は1789年1挺加えて3連になった。かんがい受益面積は三基で35haに及ぶ | ||
下流80mには2連水車があった。そばの畑には千日紅が夏の日差しを浴びて | 太鼓橋を渡るとぶどう畑が |
6/14 小高さんが来た